アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
伝ちゃん
ブログ紹介
これまでの伝ちゃんブログをdensanに移転・統合して改めて伝ちゃんブログとして再出発します。     2011.8.9
zoom RSS

− タイトルなし −

2012/09/30 20:53
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2012/08/09 19:44
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2012/07/03 04:40


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2012/05/27 07:56














記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


学校検診に運動器検診の義務付け

2012/02/20 05:55




記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2012/01/10 06:51
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2012/01/08 14:51
認知症の終末期を考える。
 認知症の終末期を定義する時、脳血管性認知症の場合、原因となる病変部毎に症状の進展が異なるため病期の判断は難しい。今のところ、根本治療の手立てが無く症状もほぼ同じ速度で進行するアルツハイマー型認知症は分かり易い。アルツハイマー型認知症の終末期は大脳皮質機能が広範に失われた失外套症候群のFAST分類でsatge7の時期と判断して良い。この時期には脳幹機能の嚥下反射は残っているが、嚥下障害が出だして経過と共に経口摂取が難しくなる。そのため誤嚥が増え頻回に嚥下性肺炎を起こす。これに対して抗生剤投与、酸素吸入や経管栄養、PEG,IVH等の延命の為の医療行為が加えられる。状態に応じた治療の選択の判断が必要となる。介護の良し悪しで数カ月から数年続き、確実な死期を予測できない。それ故に医療の有り方が問題となる。最後までその人らしく尊厳を保ち生きるための最善の利益やQOLを考え如何ににすべきかが課題となる。本人が早期にアルツハイマー型認知症と早期に診断され事前指定がなされて居れば良いが、それが無く、本人の意思決定能力が無い場合、家族のインフォムドコンセント上での合意が必要となる。

アルツハイマー型認知症のFAST病期分類



1.正  常:認知症なし。

2.年齢相応:時に物忘れあるが社会生活上問題ない。

3.境界状態:仕事や客の接待できない、買物や家事は可能。

4.軽症:家事などできないが、身の回りのことはできる。

5.中等度:身の回りのことに介助必要、家庭内で行動制限不要。

6.高度:常に身の回りの介助と居室内に行動制限が必要。



A:出生地・昔の仕事・家族の名前を言える。

B:上記について一部言える。

C:自分の名前しか言えず。



7.重度:自分が誰か分からない。



A:挨拶や呼名に良く返事し,相づちや表情  変化あり。発話するが言語崩壊 。

B:挨拶や呼名に"ハイ"など返事するが表情変化乏しい。

C:呼名にほとんど反応しない。経口摂取可能。  D:呼名に全く反応しない。経口摂取不能。



認知症医療介護の病期に応じた役割

初期    中期・後期          終末期

包括支援センターの関わり

外来診療  訪問診療 (在宅医療〜

早期診断
・治療    BPSD対応

        身体合併症の治療     看取り                             通所サービス            

        訪問介護            

        訪問看護            

        グループホーム

         小規模多機能居宅介護



   入所施設 病院、療養型医療施設、老健、特養




記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2012/01/08 13:10
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2012/01/08 06:43
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2011/12/31 17:59
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2011/12/19 05:05
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2011/12/16 07:30




記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2011/12/15 06:56
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2011/12/11 18:44




開所して動き出したれんげ畑
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


求められるターミナルケアの確立

2011/11/28 07:05
居宅での看取りの時代へ
 介護療養型病床の廃止や地域ケアの再編が進んでいる。この流れの中でターミナルケアをどうするかについて、高齢者や家族の関心が高まっている。
介護保険制度が定着、政府の在宅移行政策のもと在宅医療が進み、これまでの病院での死から自宅や介護保険施設や中間施設での多様な看取りが行われている。この問題に対する国民のコンセンサスを含め、妥当なターミナルケアの確立が求められる。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


れんげ畑 施設長挨拶 

2011/11/26 20:12
一言御挨拶申し上げます。本日は日曜日にも拘らず御臨席頂き、励ましのお言葉、お祝いを賜り(たまわり)有り難う御座います。皆さまの御協力を得て念願の「れんげ畑」が落成致しました。今朝、花環で飾られ柔らかい木の香の玄関に立った時、18年前に田畑クリニックを開業初日と同じ希望に満ちた晴れやかな気分になりました。建築に当たり滞り(とどこおり)なく工程を進めて下さった大輝設計様、一つの事故なく立派な建物を作り挙げて下さった丸善産業様、さらには工事の間、御協力下さいました地域の皆様方には大変お世話に成りました。心から感謝致します。この建物は平成22年度県の木づかい推進事業の助成を頂いて(いただいて)おりますが、計画推進や諸手続きに多大なる御配慮を賜り(たまわり)ました南薩振興局林務水産課、指宿市、鹿児島銀行、ライトハンド株式会社様には重ねがさね御礼(おんれい)を申し上げます。職員一同、皆さまの期待に報いるべく信頼される施設運営を目指し、気を引き締めて今日の日を迎えました。ところで当れんげ畑は11人収容の全個室のホームに1日15人が利用できるデイサービスを併設して居ます。デイサービスは入居の方は勿論、外部からの利用も可能と成っています。お一人お一人の生活様式や好みに合った支援が出来る様に工夫して居り(おり)ます。本体である田畑クリニックは日々の暮らしが人生そのものであり、高齢期の生活には特に介護と医療が両輪となって支えなければいけないとの考えのもと両者をミックスした体制を整えて来ました。また近隣の介護施設、医療機関とも手を携え利用者様が安心して生活できるように努めています。有馬たかし管理者以下れんげ畑のスタッフは、温かい笑顔をモットーとして安心して暮らせる第2の我が家としてまた御家族にとってもまた来たくなる施設となるよう準備を進めて来ました。私と致しましても、地域の方にも気軽にお越しいただき可愛がられる施設に成ればと願っております。良き地域コミュニティセンターと成る様職員一同、力を注いで参る所存でございます。皆様方には今後ますますのご指導、ご支援をお願い申しあげまして私の御挨拶とさせていただきます。     平成23年11月吉日。

記事へ面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


− タイトルなし −

2011/11/24 06:21
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


皆で考えたい看取りの事

2011/11/22 17:32
生物は周りの物質を吸収したり、排出したりの循環で成り立っている。この循環による連鎖は永遠であり決して終わらない。生物細胞の遺伝子には寿命を調節する部分があり人間の場合いかに長く生きたとしても、120歳程でその命を終える。そのサイクルの一部に過ぎない個体が「死」に対して情緒的になるのではなく、どのような最期を迎えるかに意味が有る。人間の場合は良く出来ていて死の直前には脳内麻薬と言われるモルヒネのようなβ-エンドルフィが出て多幸感をもたらして苦しまずに死ぬように仕組まれている。
ところが医療の発達で「閉じようとしている命を閉じさせない」という歪んだ状況が生じてしまっている。脳の破損により意識がなく、寝たきりになっていても、生きていくために必要な脳の脳幹などがしっかりと保たれていれば「植物状態」という状態で生き続けることができる。植物状態のまま、飲んだり、食べたりしなければ、約2週間で亡くなってしまうが、中心静脈栄養などの高カロリーな点滴などによって生き続けることが出来る。 これらの治療法は、鼻や口、体のあちこちに点滴の管が入れられるため、「スパゲティ症候群」とも呼ばれている。自分で歩けない、食事ができない、目で物を追っても認識ができない、簡単な命令に反応してもそれ以上の意思の疎通ができない状態が続く。わずかな期間であれば良いですが、3か月、6か月、1年、2年と長引いていくと、患者本人が苦しんでいるかどうか分からない状況でありこれが本当に良いことなのかの判断は難しい。
「患者の権利宣言」では患者は人間的な終末期ケアを受ける権利を有するとしている。できる限りの尊厳を保ち、かつ、安楽に死を迎えるため、苦痛除去など出来るだけの助力を与えられる権利であり、これが尊厳死の権利となっている。たとえば、点滴を行うと、体内の水分量が増え、浮腫や肺水腫の原因となる。この状態は、陸で溺れたような状態になり、患者は苦しむ事に成る。医学の発展は大事だけれども、近代医学の行き過ぎは問題であり患者のことを考えて無意味な延命や医学の発展のためにと検査を目的にして患者を扱わないという患者の権利と義務をしっかりと含めた医学、医療の在り方である。
同じ様な意味の「リビングウイル」は患者本人の意思によってスパゲティ症候群のような延命を拒否し、安らかで自然な死を迎えることを宣言で尊厳死を希望する遺言書である。自分でどのような治療をして欲しいかを伝えておくもので、万が一、治療内容を判断することができない状態に陥っていても、これが提出されていれば、書面に従って治療方針を決めていくことができる。亡くなるまで何の処置も受けずにいるわけではなく身体的・精神的に痛みがあればその痛みを取り除き、急性の変化があれば、そのための治療が行われる。リビングウイルとは、必要な対応だけを受けながら最後を安楽に迎えたい、そのための努力をして欲しいということを伝える遺言書である。
自然な死を迎えるための最も良い環境は「家」であり病院は、非日常的な環境であり生活する場所ではない。在宅の場合、自由にわがままをいうこともできる。病院では好きなテレビを見たり、歌を唄ったりはできないが、家では可能である。また、タバコを吸ったり、お酒を少し飲んだりと病院ではできないことができる。在宅医療の医療的環境は、家を中心に患者を全面的に引き受けて展開していく、高度包括医療体制とも考えられる。患者に係わる医療スタッフが協力して「在宅医療チーム」となるため、病院で受けられる医療のほとんどが在宅で行える。
病院や医師の形態によって、在宅医療はそれぞれ違って来る。自分はどんな医療を選ぶかが非常に大事である。在宅医療は1つの形があるわけではなく、医師の持つ技術や地域で供給されるサービスよって異なってくる。患者やその家族が自分の意志で上手に選択できるようにサポートしていくことが在宅医療にとって重要である。
昭和25年、26年頃(1950年〜1951年)は、約80%が自宅で亡くなり、病院で亡くなる人は10%程度であった。ところが、昭和51年頃(1976年)からはそれが逆転し、今では約80%が病院で亡くなり、在宅で亡くなった方は20%未満という結果になっている。
病気ではない人でも、自宅で最期を迎えたいと考える人が多く、「末期ガンなどを患い、終末期医療を受ける場合、どのような場所が理想か」という質問に、33.8%が自宅を挙げている。患者の場合では、26%が自宅、33%がホスピス・緩和ケアを望んでいる。
 このように、最期を迎える場所として「家」を希望している人が多いにもかかわらず、実際には家で亡くなる人が少ないという結果を受け、在宅で看取れるような環境を作るため、平成18年(2006年)に国が「在宅医療」を新興し、在宅医療・在宅ケアを進めていくという目標を揚げた。高齢者ができる限り住み慣れた家や地域で療養し、身近な人に囲まれて最後を迎えることも選択できるように、診療報酬上の制度としての「在宅療養支援診療所」が設けられた。在宅療養支援診療所とは、平成18年の医療法改正で新設されたもので、24時間体制で往診や訪問看護を実施していく診療所である。後方ベッドや入院ベッドを持つ医療機関と提携する、患者の状態が変化したら24時間体制でのチームワーク・ネットワークである。
体調に合わせた処置が続けられ、自宅で家族や医師に囲まれて眠るように最後を迎える。
在宅ケアでは、病院のように医師や看護師が常にそばにいる環境ではないため、家族は患者の症状に不安や心配を募らせてしまう。そのため、今後考えられる状態や変化を説明し、理解しておいてもらうことが在宅ケアを成功させるポイントである。
 最近では血管の中に点滴の針を入れなくても、皮膚にプラスチックの針を使って点滴ができる「皮下輸液」というものがある。針を血管に入れていないため、動いても抜けず、家族だけでも2、3日は安心して様子を見ることができる。喉が渇いていてもうまく飲み込めず、誤嚥してしまうような人でも、皮下輸液があれば渇きを解消し、苦痛を少なくすることができるようになっている。誤嚥を起こさないための訓練は大切である。
在宅医療を成功させるために最も重要なのは、「受け入れの意思」である。在宅医療を行う前には、往診の時間や回数、バックアップ体制などを話しておき、その内容が医師と患者、家族の間でしっかり確認され、納得を得ていないと失敗に繋がる。医師は、その患者のためだけにいつも動けるとは限らないため、いろいろな条件や体制、環境なども含めて受け入れる意思がしっかりしているかが、在宅医療では大事になる。
この他、安定した最後を迎えるためには、在宅医療だけではなく、後方支援の入院医療も大切になる。入院医療から在宅医療へ、在宅医療から入院医療へという、状態に合わせて両循環ができる、選択が可能という環境が非常に重要である。
患者や家族が満足できる最後を迎える。例えば、食べることが大好きだった患者の場合、家族は体のむくみを取るために入院させると、管で食事を摂ることになるため、本人の残りの人生の楽しみを考え、グループホームでの「ターミナルケア」を選択した場合、特に何も治療を行わず、今までと同じ生活の環境で残された日々を人間らしく過ごす。医療に大切なものは、患者を思う「心」がそこにあるということが大切でこの部分がしっかりと理解されていないと、医療の発展にも繋がって行かない。特に、原点ともいえる在宅医療は心の医療で、医療従事者が患者の心に寄り添い、幸せな環境作りが不可欠な医療である。現在では、安全に扱える器具なども多く、自宅での症状緩和も行いやすくなっている。そのため、まだまだ日本では「在宅での看取り」について十分ではない部分も多い。しかし自分や家族の最後をどのように全うしていくことができるかを、今からでも考えておく必要がある。
私達は元気な内から自分の人生をどのように作っていくか、最後はどのように看取られたいか、看取りたいかを、家族や主治医、周囲の人達と考える心の準備が、幸せな最後を迎えることになる。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


− タイトルなし −

2011/11/14 06:57
入れ歯
 顔貌の整容、発音・摂食・咀嚼・嚥下機能の維持だけでなく身体的、精神的
健康にも影響する。適切に装着、調整する。

就寝時
 外す事が望まれるが、外す事で顎関節に過剰な負担が掛かり顎が外れたり、
顎堤が損傷を受けやすい場合などは夜間装着する。食後は必ずはずして清掃
を行う。





記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


在宅医療での看取りでの医師法20条の解釈

2011/11/13 21:31
 在宅医療中での死、すなわち暮らしの場で死亡した場合、医師法20条の診察後24時間以上経過して死亡した時の診断書の取り扱いの解釈にはいまだに混乱と言うより誤解が有る。例を上げると主治医が最後に診察した後、24時間以上が経過して、自宅や介護施設で亡くなった場合、主治医が立ち会えなければ、診断書は書けず異常死として警察に届け検案が必要とする全くの誤解である。さらには家族と主治医とのかねてからの申し合わせが無かった為、家族間の意見の違いなどから死に際になって、救急病院に収容され救急医が診療中ではない死として警察に届けて検案する誤った解釈の場合も少なくない。そうなると人生の最後が警察や検案医の関わる死体検案になってしまい、診療を継続して来た主治医や家族、ケアスタッフにとり穏やかな看取りが出来ないのはつらい。

 正しくは「診察後24時間以上経過した死」でも以前から診療中の患者は、死後の診察で死亡診断書が書けて、異常死として警察に届ける必要もない。

 ー昭和24年医務局長通知ー
 診療が継続している患者が、それに関連する原因で死亡した場合、24時間以内ならば、あらためて死後の診察をしなくても、また24時間以降は死後の診察をする事により死亡診断書が書ける。ここでの24時間以内の規定があるのは死後の診察をしないで診断書を交付するのをなるべく制限するためである。

1.死亡診断書は診療中の患者が死亡した場合に交付されるものであるから、死亡の際に立ちあっていなかった場合でも交付する事が出来る。

2.診療中の患者であっても、交通事故など全く別の原因により死亡した場合は死体検案書を交付する。

診療中の患者とは

  かかりつけ医の管理下で治療や療養指導を受け入院や定期的通院、薬剤投与を受ている場合。
最後の診察からの時間経過で規定はされない。医師としての社会通念上の判断で良い。
搬送先の医師も画像、心電図、他院からの情報提供で病死で有ると診断や推定が出来れば異状死体には当たらず診断書が書ける。


記事へ驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


続きを見る

トップへ

月別リンク

伝ちゃん/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる