JR日勤教育
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作成日時 : 2007/06/19 21:49
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朝な夕な仰ぎ親しんでいる山並みを眺めながら、もう何年にもなるある日曜日の朝、検死を頼まれ出かけた時の事を思い出した。薩摩半島の真ん中を北から南に走るなだらかな山の麓から少し入った林のなかで縊死している男性が発見された。私が呼ばれたのはその男性は勿論、奥さんと2人の幼い子供も私のかかりつけだったからである。男性はJRの機関区に勤めていた。その縊死事件の約1ヶ月ぐらい前、駅の構内での機関車の入れ替え作業中、信号を誤認し脱線事故を起こした。そのことはニュースで小さく報道された。人身事故ではなかった。そんなことがあった後、私の所に眠れないと相談に来た。会社では事故を起こして以来ずっと日勤教育なるものを受けていると話した。大分精神的に参っている様子ではあった。日勤教育とはどの様なものか尋ねると、毎日職場に出勤し、本来の仕事はさせられず、夕方の5時になるまで1日中部屋に閉じ込められ、反省文を書かされたり本を読んだりさせられているとの事だった。私はそれが辛いものだとは思いもしなかったので、余り心配しないで教育が終わるまで頑張るよう励ました。そして眠れるようにと睡眠薬を処方した。その後も2〜3回来院した。表面上はそんなに辛そうでもなかった。そのうち来院しなくなったので気にはなっていた。それも唐突に検死に呼ばれてから驚いた。悪い予感が当たってしまった。対応が悪かったのではないかと何度も思い返し反省した。遺体を前にそんなことも見抜けなかった自分を詫びた。男性は事故の責任、家族の事、日勤教育の辛さなど悩み続けながら最後に死を選んでしまった。平成5年に107人もの死亡者を出したJR宝塚線事故の運転手が、事故直前に伊丹駅で72メートルオーバーランして懲罰的日勤教育を恐れ、そのことばかりに気をとられ制限速度46キロもオーバーしてカーブに進入して起こした事故であるとの最終報告を出すと今日のニュースで伝えていた。私の患者さんの事件の後、JR鹿児島では、それまでの人権を無視した日勤教育を見直すことになったと私にも伝えて呉れた。しかし宝塚線の事故はあれからだいぶ経って起きた。あれは鹿児島だけの事だったのかとを思うと残念でならない。検死のあと年老いた父親が憔悴しきった姿で遺体を引き取りに来た。残された奥さんと幼い子供のことを思うと胸が潰れそうであった。その後JRの係りの人が事情を聞きに来た。何よりも残された家族のために男性の名誉回復と労災が認められるようお願いした。そして一生懸命尽力してくれたお陰で認められた。現在、奥さんや明るく大きく育った2人の子供さんがなにかあるとクリニックに顔を見せてくれる。今はその明るい笑顔に救われている。
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日勤教育
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densan 2007/06/29 13:11 |